正常と異常の風景

パタンと扉が閉まる。


「.........ふぅ」


小さく鍵のかかる音がして、それまで浮かべていた笑顔を消して、
僕は溜息を吐きつつベッドに腰掛けた。


朝だといっても船内の一室である部屋は、

紋章球の光が無ければ真っ暗になってしまう。


だが、掃除も行き届き、花や絵が飾られ
綺麗に整えられたこの空間は、この船の中では一番の快適な部屋だろうと思った。

 

最初にユイシアを裏切った僕が、このような手厚い待遇にあるのは、自分でも戸惑う。
この船に乗せられた時も、今までの報いで処刑されるとばかり思っていたのに
貴族の息子として贅沢に暮らしていたあの頃と、
ユイシアが僕の家の小間使いだった時のままの日常が、此処には在る。

 

「いや...あの頃よりも性質が悪い」

 

この船に乗せられてから、息苦しいまでのユイシアの世話の焼き方に

僕はうんざりしていた
まるで一目でも目を放したら僕がどうにかなってしまうかのように
表情は無邪気のままで、見つめる眼だけが笑っていない。

 

裏切り、一時でも敵だったユイシアに情けをかけられるのが嫌で、

散々殺せと喚いた所為か、
今までの世話焼きに、監視という余計なものまで付いてしまった気がする。

僕は恥を晒すのが嫌で投げやりな状態で終わらせて欲しいと喚いていたが、
ユイシアも涙を浮かべながら、必死に何かを叫んでいた。

 

「あの時の真っ青で呆然とした顔は見ものだったけれど」


あの時を思い出し、くすりと笑いながらも、まさにあの時から始まった
この息苦しい生活を考えると、頭痛と苛々する気持ちが生まれてきて、僕を苛む。
喚きながら興奮状態だった僕は、ユイシアも何も見えていなくて
何かの紋章の力をぶつけられたような気がした後
突然意識が無くなって、気付いた時にはこの部屋で、

目の前には笑顔のユイシアがいて。


繰り返される
おままごとのような子供騙しの嘘だらけの日常が始まっていた。

 


「外は危ないから、此処にいてね」


お互い、といっても主に僕のだが朝の支度をして、
いつものように部屋から出て行くユイシアを見送る。
明るく無邪気に言う癖に、眼の奥の心配でたまらないという感情が見えて
可笑しくなった。

 

「ユイシア、怪我をしないように気をつけて」


無事に帰ってくるのを待っているよ、と儀式のように毎朝同じ言葉を吐いて
光り輝くような笑顔で部屋から出て行きながら、毎日忘れずに部屋の鍵をかける時の
カチリ...という音に、思わず扉に殴り掛かってしまいそうになる心を押さえ込んだ。

 

外は危ない


そうだ、ユイシアだってちゃんと解っている
この部屋から出れば、この船に集う皆のリーダーを裏切り陥れた僕は、
たとえ、ユイシアが許すと公言しても、憎らしくてしょうがない存在だろう。
それなのに、まるでそんな僕への呪詛の言葉や、空気が無いかのように振る舞い
何も無い、気持ち悪いほど穏やかな日常を差し出す。
この扉のすぐ先は、僕への悪意で溢れているというのに。

 

鍵も、僕への警告と同時に、外からの侵入も警戒しているのだろう。
まるでここは光しかない楽園だというような戯言を言う癖に、
ちゃんと悪い事を自分がしていると、頭のどこかで解っている。
僕に見せないように無邪気に笑いながらも、
ひたひたと後ろから近付く悪意を人一倍気にしてる。
僕はもう気付いているのに。

 

ユイシア
何故、この歪さを認めない?


この船に乗る者達全てが、君に希望を託し、共に戦っているというのに
その者達を表面的には悟られないようにしながらも捨てて、
裏切り者に跪く異常さを。

 

 

――ユイシア様に迷惑をかけないでほしい
――さっさと船から下りてくれ
――裏切り者が!!

 


この部屋に来て少し経った頃、扉の向こうから怒鳴られた言葉を思い出す。
男性も女性も、子供のような声も、遣り切れないだろう思いを叫んでいた
それは全てユイシアを慕う人々の思い。

 

解ってる。
解っているから、僕をどこでも良いから陸に降ろして欲しい。
貴族の地位も信頼も何もかも失った僕と、

紋章の力を手にし皆の為に戦っているユイシア


こんなになってまでも消えない僕のプライドには呆れてしまうが、

劣等感を
大いに刺激されるユイシアの傍にいることは、
酷く苦痛だった。

 

「ごめんね、スノウ」


――皆にはちゃんと説明したから。もう何も変な事言わせはしないから――


その事を聞いたのだろう、ユイシアの床に這う様に必死になって謝る姿も

同時に思い出す。
...惨めさを実感して、益々憎らしくなる

その姿を見て喜ぶほど、僕はまだ落ちぶれてはいない。

 

 

ぼんやりと目を開けると、いつの間にか眠ってしまってたらしく
枕元の、この部屋にある唯一の時計の針は正午過ぎを差していた
遠くから靴音を響かせ近付く音がする
どうやらこの音に起こされたらしい。

 

リーダーの部屋の前を、音も気にせず走れるのは、

この部屋の主だからに他ならない。
始まる、また繰り返しが。
ベッドから立ち上がり、扉の前へ進むと、ユイシアが喜ぶ顔を作った。
扉の近くにいると、一瞬表情を歪ませる事に気付いている
僕にできる、この退屈な日常のささやかな意表返しだ。

 

「スノウ!!」
「おかえり、ユイシア」

 

飛び込んでくる僕よりも少し小柄な身体を、受け止めるように両手を広げた

歪さはいつか壊れる
それまではこのままで。
繰り返そう
眠るまでの時間を、いつものように。

 

 

君が見た景色を、早く僕にも見せてくれないか?