ファーストキス

疲れて帰宅をした部屋には、天使がいた。

 


ソファに、くうくうと眠る恵を見て、驚きのあまり使っている目隠しを破ったほどだ。

 


布が床に落ちる音がたつのすらも許せなくて、

 

慌てて空中で回収した。

 


恵には、鍵を渡してあるからこういうこともありえるのだが、
遠慮をしているのか、今まで使われたことはなかった。

 


それを寂しいとは思っていた。

 


一週間の出張。


それが、何だかんだで二週間になってしまい、恵と毎日電話やメールをしていても
会うのは久しぶりだった。

 

それどころか、「五条先生、ちゃんと仕事をしてください。」と毎日の電話に
大きなため息をつきながら苦言を言っていたくらいだ。

 

 

その恵が、いる。

 

自分のテリトリーに。

 


静かに、静かに近づく。

 


テーブルには飲みかけのペットボトルと、本が置いてあった。

 


読み疲れて眠ってしまったのかもしれない。

 

 

そもそも、もうすぐ日をまたぐ時間だ。

 

ただでさえ眠たがりな恵が起きている時間ではない。

 


間近まで近づき、その寝息とかすかに香るやわらかな恵のにおいに現実なのだと実感した。

 


右手を曲げ、左手を重ねるようにして眠っているため、五条には恵の顔が半分しか見えない。

 


よくもまあ、こんなにかわいく眠れるもんだ。

 


恵にとっては理不尽な怒りを少し覚えつつ、じっと見つめる。

 


寝息を立てる


色鮮やかな唇。

 

 

 

 

半分なら、その唇を頂いてもいいんじゃないか。


半分だし。

 


寝てるけど。


半分だし。

 


晴れてお付き合いにまでこぎつけたが、


いつも恵が恥ずかしがって、中々キスもできないのだ。

 

それすらかわいいのだが。

 

めちゃくちゃかわいいのだが。

 

 

 

もしかしたら誘われているのかもしれない。

 

自分の考えにどくどくと心臓が鳴る。

 

五条悟の頭は疲れていた。

 

 

 

これ以上にないくらいの集中で近づくとそーっと、かすめるだけの口づけをした。

 

 

 

 

 

「...う、わっ...帰ってたなら起こしてくださいよ。」

 

体育座りで伏黒を見つめている五条の姿に驚いた。

 

つい眠くなってしまい、ソファで転寝をと思ってしまったがしっかり眠ってしまっていたらしい。

寝室から持ってきてくれたのであろう、ふわふわのタオルケットが

身体にかかっていた。

 

「恵の寝顔見てたー。」

 

めっちゃかわいかったーと、にへらと笑っている様子を見て

この人疲れてるなと察する。

 


「.........五条先生、お疲れさまです。」


それと。


「おかえりなさい。」

 

その大きな身体に思いきり抱きついた。

番犬には飼い主が必要

人混みから、ようやくお目当ての人物の姿が見え、五条は安堵した。
迷子になったのかと心配した。

 

五条さんは目立つから俺が行きます、と慣れた手つきでクレジットカードを手にして
恵が公園内にある有名カフェチェーンに向かってから数刻が経っていた。

 

座る場所を確保していてくださいと言われ、
おとなしく待っていた。

 

こんないい天気なのだから、空を見ていたいという恵の希望に答えた結果だ。


確かにちゅんちゅんとすずめが飛び、咲いている花には蝶が舞い
自然あふれる、恵が好きそうなシチュエーションだ。

 


だが。

恵がいなければ、ただのうるさい鳥とただの虫としか思えない。

 


健気に待つ五条さんえらいと、自画自賛をしつつ、組んだ足をぶらぶらと揺らして
待つのは苦痛だった。

 

せっかくの恵とのデートなのだ。

 

一秒、一時ですら離れていたくはない。

 


しかし、現実はそうさせてはくれない。

 


そもそも、恵がそうさせてくれない。

 

 

「遅いよー、めぐみー。」

 

ぶーぶーと片頬を膨らませて、目の前に来た恵に甘えるように言うと、
その表情にありありと「面倒」と書かれているような顔をして、
恵はため息をついた。

 


「五条さん、鳴き声がめぐみになるところだったよ。」


「地味に嫌ですね。」

 

ふはっ、なんだそれと笑いながら、右手に持ったトールサイズのカップを渡される。
うん。
僕の好みばっちりな生クリーム増し増しのドリンクだ。


逆に左手にはシンプルなカップが握られていた。

 

「コーヒー買いに行くだけで何分かかってるのー。」

 

はいこれとクレジットカードを渡されながら、一番の疑問を聞く。

......僕のクレジットカード、ずっと持っててくれてもいいんだけどなぁ。

 

そうは思いつつも、さすがにそれは学生の恵には「重すぎ」かとカードケースに仕舞った。

 

「店行く前に道を聞かれて。俺もわからないのでスマホで調べてました。」

 


ストローを吸いかけた口が、何も吸い込まないままひゅっと鳴った。

 

 

「案内まではしませんでしたが、分かってもらえてよかったです。」

 

 

すとんと五条の横に座る。

 

 

ぎぎぎぎぎと、ゆっくり恵の方を向く。

 

 

「うっ、浮気!!!???」

 

「違います。」

 

何でそうなるんですかと、恵は何事もないようにカップの口にふぅふぅと息を吹きかけていた。

 


かわいい。

 

今すぐスマホを取り出して録画したい。


だが、この前「五条先生、俺の写真撮りすぎです!!禁止!」と言い渡されてしまったのだ。

 

ひどい。

 

恵のかわいい姿を脳内に記憶しつつ、でもっと追求をしようとしたが。

 


「東京に観光に来たおじいさんとおばあさんですよ。」

 

だから、手を貸したかったんです。

 


そう言われて、うちの恵はなんて優しい!!と感動した。

 


「恵ちゃん、いいこいいこ!!」

 

「今抱きついたら、口聞きません。」

 


両手を広げたが、すかさず言われた言葉にしゅんとなった。

姿勢を正し溶けかけのドリンクをずずーと飲む。

 


「.........部屋に行ってから、してください。」

 

「めぐみっ!!」

 

恵はうるさいとばかりに、片手で耳をふさぐ。

 


「あんた本当に鳴き声恵になったんじゃないですか?」

 

 


そう苦笑いをする顔も最高にかわいかった。

 

 

 

 

 

 

分かっていた。


ちゃんと視ていたから。

 

ロマンはひとそれぞれ


会った時からどこかそわそわしている五条に、伏黒は気づいていた。

 


そして、何故か今お互いソファに正座をしている。

 

 


伏黒はともかく、五条は窮屈そうだがそれどころではないらしい。

 

 

「伏黒恵さん、男のロマンというものをご存じでしょうか?」

 

「あんた、突然何キャラですか。」

 


恵に話したいことがあると、真剣な声で言われて、ちくりと来た不安を返せ。

 


五条が何故か正座をしたので、何となく伏黒もそれにならったが、


これはどうしようもないことだなと直感し、


座りなおした。

 


「恵に、僕の服を、特に上だけを着てほしいです!!お願いっしまっすっ!!」


土下座かというような態勢になりそうだったので慌てて五条の肩を押さえて止める。

 


「そんなことぐらいで何でこんな雰囲気だったんですか?」

 

あまりの奇行に呆れる。

 


「そんなこと!?いやいや、これは重大なことだよ!!」

 

こんこんと説明が始まりそうだったので、大声うるさいとばかりに伏黒は
五条に答えた。

 

「着ます。何着ればいいんですか?」

 

男の何とかとか言っていたが、ただ単に五条の服を着るだけではないか。

 

伏黒は呆れたが、五条はそうではないらしい。

 

ぱあっと顔を輝かせる。

 

ここは鉄板的にシャツかな!?でもニットも捨てがたい!!

 

うんうんと頭を抱えて呪文のようなものを言いながら悩んでいる五条に引きつつ
埒が明かないと、左手を差し出した。

 

「五条先生、上着、脱いでください。」

 


「ええええっ!?恵ちゃん!?」

 


きゃっ!と胸の前で両手を組んで高い声を出す五条に、気にしていられないとばかりに
伏黒は再度言う。

 

「丁度いいじゃないですか。今着ているのを貸してください。」

 

 

まだ、シャツがニットがといっていたが
伏黒が気を変える前にとばかりに、五条は着ていた上着を脱ぎ始めた。

 


上着を脱ぐ仕草にドキリとしたことは言わない。


ふんわりと香ったにおいに胸が高鳴ったことなど。

 


「はい、恵様お願いいたします。」

 

「だからそれ何キャラですか。」

 

いちいち入る謎の言葉にツッコミを入れつつ、伏黒は渡された上着を手に取った。

 


自分と同じ生地の上着のはずだが、重い。

 

クソっとこころで悪態をつきながら、自分の上着に手をかけた。

 

 

 

首回りも、腕の長さも、丈もどこも大きい。

 

伏黒の制服とは全く違う。

 


もっと食事と筋トレがんばろうと心に決めつつ。

 

五条の上着を着たあと、ズボンとトレンカを脱ぐ。

 


確か五条は「上だけ」と言っていたはずだ。

 


隣からあわわっという声が聞こえて視線を向けると、


五条は両手で顔を押さえつつ、指の隙間からこちらを見ていた。

 

別に男同士の着替えぐらい見るならはっきり見ればいいのに。

 

 


「これでいいんですか?」

 

悔しいが、五条の上着はぶかぶかでひざ下まで伏黒の足を隠した。

 

 


絶対領域が無い!!でもこれは、これで...でもっ!!」

 

くうーっ!!と奇声を上げて五条がうなる。

 


情緒不安定か。

 


絶対領域?」

 

「えー、太ももと膝までの区域といいますか...チラ見せ?」

 


「何と比べてんですか?」

 

「比べてなんていませんっ!!断じて!!絶対!!」

 


ぐわっと、両肩をつかまれるが顔が怖い。

 


情緒不安定すぎる。

 

 

そもそも、だ。

 


「あんたのが、大きいのがいけないんですよ。」

 


「............。」

 

 

五条はがばっと床に突っ伏すと、

 

「恵ちゃん!!五条さん、汚れた大人でゴメンネ!!」

 

涙声かもしれないというような声で叫ぶ目の前の男に。

 

 

 


ついていけないと思った。

 

ハローハロー、ワンダーランド

「恵抱き枕があったらいいなぁ。」

 


また、変なことを言い始めた。

 


3日ぶりに会った五条先生の顔には、声は普通でもありありと疲れの色があった。


その顔を見て、出直そうと思ったが、


恵がいなくちゃ始まらないじゃん!!と力強い腕に抱きしめられて


ソファに連れていかれて、今に至る。

 


「任務で疲れた時、抱きしめて癒してもらうの。恵そっくりな恵型抱き枕。」

 


等身大で作るか!!と、五条先生は何やら真剣に考えだした。

身長は...体重も...とブツブツと言う言葉は、何やら抱き枕から逸脱し始めた気がするが。

 


俺は思ったことを口にする。

 

「そんなの俺を連れて行けばいいじゃないですか。」

 


いつでも、どこへでも。

 


言ってから、これ恥ずかしいやつじゃ...そもそも五条先生の言葉に何真面目に
答えてるんだと我に返る。

 


そろっと、五条先生を見ると、意外だったのかぽかんと口を開けて
こちらを見ていた。

 

「.........。」


「.........。」

 


「やっぱ、今のなしで...っ!!!」

 

近くにあったクッションで顔を隠す。


しかし、クッションをはがされ、ぽーんっと投げられてしまい赤くなった顔を隠せない。

 


五条先生のあたたかい手に両頬をがしっとつかまれ、そらすこともできない。

 

 

「うん!!将来的には毎日毎時間毎秒離さないからね!」

 


「おもっ...。」

 

ちょっと引いた。


この人ならやりかねない。

 

 

よーしっ、今から練習ね!と、がばりと抱きつかれる。

 


練習ってなんだよ...いつもと変わらないではないかと思いつつ。

 

 

 

五条先生に抱えられて移動をする自分の姿が楽に想像できて、
できれば片腕抱っこぐらいがいいと、
諦めるように遠くを見た。

 

 

 

 


(ここで終わりにしようと思いましたが、追記)

 

 

 

 

「じゃじゃーん!!そういうわけで五条先生型ぬいぐるみでーす!」

 

そう明るく言う五条先生の手には、ぬいぐるみにしては大きい、
でも、特徴をとらえたまあるい物体が抱えられていた。


目隠しもちゃんとある。
色は、髪色の灰色と目隠しと服の黒と肌のベージュなのに、分かるもんだなと思った。

 

ただ、なにが「そういうわけなんだろう?」と疑問に思っていると。

 

「恵が五条先生がいなくても寂しくないように、作ってみた!」


特注だよ!!とこちらにずいっと向けてくる。

 

「僕は恵を一時でも寂しくさせたくありません!!」


言葉は、素敵だが絵図らがやばい。


自分を模した大きなぬいぐるみを持つ五条先生。


いくら格好良くても合う合わないはあるんだなと、伏黒はしみじみ思った。

 

「だから僕がいないときは、これで癒されていてよ。」

 

そう差し出されたぬいぐるみを、「はあ。」とあいまいに答えながらも受け取る。

 

しかし、手に触れたそれに伏黒は驚愕をした。


(ふわふわ、柔らか!!)


ぬいぐるみと侮っていたが、その手触りは最高級だ。

 

 

思わずぎゅうと抱きしめそうになったが、五条がじーっと見つめているので止めた。

 


「.........何か先生、ぬいぐるみに嫉妬しそう。」


「心が狭いですね。」


きっぱりと伏黒は言い放ち、


持ち上げてぬいぐるみと目線を合わせてみると、顔の半分は目隠しで隠れているが、
愛嬌のあるかわいい顔だ。

 

かわいい。


すべすべで肌触りもよさそうだ。

 

思わずその顔に、自分の顔を近づけようとすると、「ていっ!」という言葉とともに
手にしていたぬいぐるみが吹っ飛んだ。

 

呆然と手の形はそのままに、開いた空間を見ていると

 

「浮気はいけません!!!」


五条はそう叫ぶと、伏黒にぎゅうぎゅう抱きついてきた。

 

「あんたが持ってきたんでしょうが。」

 

「そうだけど、そうだけど!!五条さんが目の前にいるのにっ。」

 

わめきだした五条先生に、
この人は本当にもう仕方がないなとため息をつきつつ。

 


「俺には、これでいいです。」


そうつぶやくと、大きな身体を抱きしめた。

 

 

 

 

部屋の片隅には、思い切り飛ばされたぬいぐるみが、ちょこんと放置されていた。

 

 

 

 

後日、もったいないからと伏黒の部屋にぬいぐるみは引き取られたが
ベットに置かれたそれに、遊びに来た虎杖は

 

「なんか変なものがある。」

 

と正直に伏黒に聞いた。

 

 

先生あのね

体重が1Kg増えた。

 


これは、伏黒恵にとって一大事だった。

 


どれくらいだったかというと、体重計の前で下着姿で5分間立ち尽くした後、
おもむろにゆっくりと腕を上げ、
力強くガッツポーズをするくらい一大事だった。

 


食べても中々増えない体重と、筋肉だったが、ようやく。

 

 

ようやく、60Kgになった...!!!

 


はかり間違えかと、3回体重計に乗りなおした。

 


ちゃんと60Kgだった。

 


50Kg台と、60Kgでは、天と地ほど違う。
大げさではない。
決して。

 

(よしっ...!!!)

 

これでも、鍛えている分は食べようと頑張ったのだ。

 


それがやっと実を結んだ。

 

 

 

「五条先生、何か気づきませんか?」


自分の左胸をばしっと手て叩いて、待合場所に来た五条先生に問いかける。

 

いつも通り遅刻をしてきた五条先生だが、今日はもう問題じゃない。


この人なら、分かってくれるはず。

 

俺は、60Kgになったんだと!

 


さあ、見ろ!!

 


「んー?いつものカッコかわいい恵だねぇ。」

 


目の前に来た五条先生は、少しかがむとにこりと笑った。

 

「こう、全体的に。」

 

「うーん、細...いやいや、恵だなぁ。」

 

何か不穏な言葉を言いかけた気がするが、それどころではないとばかりに言い募る。

 

「ちゃんと、俺のことを見てください!」

 

埒が明かないと五条先生の方に身を乗り出したとき。

 

五条先生は、くいっと目隠しを持ち上げると真っすぐな視線で見てきた。

 


「見てるよ。いつも、ずっと。恵のことを。」

 

 

 

そうじゃなくて!!と叫びそうになったが、


その真剣な声に顔が赤くなるのを止められなかった。

 

 

 

 

 

「何あれ。これから任務だっつーのに何が始まったの。」


「伏黒、朝からそわそわしてたけど五条先生に会いたかったんかな?」

 

いとしいあなた


五条先生の任務に着いていった。


無事に呪霊は祓われたが、遠い場所だったため日帰りではなくホテルに泊まることになった。

 


「同室が良いです。」


ホテルの入り口で、ぼそりと呟く。


五条先生は非常階段のマークのような姿勢で止まった後、何故か深呼吸をしてから


入り口をくぐり、ホテルのカウンターに向かっていった。

 


それを離れたところで見る。

 

少しそわっとする心を隠しつつ、たとえ別室でもいいとも思っていた。

 

恵が欲しいけれど18歳までは我慢をすると、一日に一回は宣言をするが、

 

それは五条先生の勝手だ。

 

でも、大人としては何か考えがあるのだろう。

 


.........多分。

 


いや、五条先生にそんなデリカシーがあるのか?と悩み始めた時

 


「行こうか。」

 


その手のひらにあるひとつの鍵に安堵をした。

 

 

 

 


同室だからといって、何かあるわけでもない。

 

いつも通り。

 

ご飯を食べて、別々にお風呂に入り、ソファでくつろぐ。

 

伊地知さんに電話をしている五条先生の左手に触れつつ

 

背中にある体温が心地よくて、うとうととしはじめると

 


電話を切った五条先生に抱えてもらって就寝した。

 

 

 

 

 

 

朝は弱いほうだが、はやめに眠ったからか、好きな相手が傍にいるという


高揚と嬉しさからか、すっきりと目が覚めた。

 


腕を伸ばして体をほぐしつつ隣のベッドを見ると、いる。

 

 

五条先生が、眠っている。

 

 

何も考えなんてなかった。

 

ただ足が、隣のベットに向かった。

 

 

にぎやかな日常も良い。

 


でも。

 


久しぶりの「ふたりきり」という状況に、浮かれていたのかもしれない。

 

 

 

 


すうすうと眠る五条先生の横に静かに寝そべる。

 

眠りを妨げないように気を配ったけれど、やはり気づいたのか、ぼんやりと水晶のような
瞳が開く。


状況がわからないような、寝ぼけつつもはてなマークが飛んでいる先生に一言。

 

 

「おはようございます、ダーリン。」

 

 

ぱちくりと大きく瞬きをした後、どんどん赤くなる。

 

 


俺は、その顔を見て、笑った。

 

きっとこれは人生で最低な一日

あたたかいものは、常にあった。

 

誰も来ない授業参観日に、あのひとが来てくれた時。


津美紀とあのひとと3人で食卓を囲んだ時。


季節の変わり目に風邪をひいたときに、焦るあの人の声と落ち着いた津美紀の声。


中学の制服が見たいと試着に付き合ってくれた時。


新しい式神を調伏できた時に頭をなでてくれた大きな掌。


3人で行った夏祭りの音。

 


桜、雨、飛行機雲、一面の雪。

 

 

 

なんて罰当たりなのだろう。

 


五条さんに、こんな気持ちを抱くだなんて。

 

 

 

きっとこれは人生で最低な一日

 

 

 

「うーん、恵に五条先生って言われるとなんか違和感~。」


ソファにだらしなく体を預ける五条先生の言葉を耳に入れつつ、俺は手にした本の
ページをめくる。


ストーリーなんて入ってこない。


横にいる存在が気になって仕方がない。

 

「でも、先生じゃないですか。」

 

ぱらりと紙の音が響く。

 

「そうだけど、急によそよそしい感じ。」

 

この人は聡い。

 


五条さんが好きだ。

 

すとんとこころに芽生えた時、それと同時にあまりの恐ろしさに吐いた。

 

何でもいい、隠さなくてはいけないものだと思った。

 

恨んだりもした。

 

こんな俺にあたたかさを、優しさをくれるのがいけないのだと。

 


分かっている。逆恨みでしかないことも。

 


しかし、自分ではどうすることもできずに日に日に鬱屈はたまっていった。

 


そうして、もがき苦しんだ後、俺は「五条さん」を封印した。

 

新しく「五条先生」を作った。

 

 

「五条先生、任務は?」

 


「五条さんにいじわるをする子とのスキンシップの方が大事でーす。」

 

伊地知さん、また苦労しているな...とため息をつく。

 


「別に、いじわるなんてしていません。」

 

 

本をぱたりと閉じて、五条先生を見た。

 


「やーっと、恵がこっち向いた!」

 

ピシッと両手の人差し指をこちらに向けて水晶のような瞳で笑う。

 


「恵が本に夢中になってるから、五条さん拗ねちゃってたよ~。」

 


「はあ、それはすいませんでした。」

 


本なんて読んでなかったけれど。

 

ただめくられていた本に悪いと思い、労わるように表紙をなでる。

 


「恵はさ、頭がいいから色々小難しいこと考えちゃうんだろうけれど、大丈夫だよ。」

 

「俺が今考えてることわかるんですか?」

 

「全然!わかんない。」

 

 

だけど。

 

「それでいいよ。」

 

 

左頬があたたかく大きな五条先生の掌に包まれた。

 


「恵。大きくなったね。」

 


優しいまなざし。

 

 

やめてくれ。

 

勘違いをしてしまう。

 


あなたにとって、俺は特別なのだとあり得ないことを考えてしまう。

 

 

だから目を合わせたくなかった。

 

見たくなかった。

 

 

あなたを見てしまえば。

 

 


好きだ、という気持ちが抑えられない。

 


一度口を開き、声にもならないものを吐き出した後、改めて五条先生を見た。

 

 

 


「今日はあんたにとって、人生最悪の一日だと思いますよ。」

 

あなた以外ふれてほしくないの

無事に任務は終わった。

 

だが、ひとつだけイレギュラーなことがあった。

 


「あんた!!変なものを消してくれたんだろう!?」

 

大柄の男性が、こちらへ向かってくる。


視えはしないが、何かを感じていたのだろう。

 


「感謝する!!」

 

そう大声で叫ぶと、いきなり俺の両手を力強く握りしめた。

 


「ちょっ...っ、何ですか。」

 

「この土地には、開発をしようとすると事故が起こるし困ってたんだ。」

 


いやー、良かった良かった。とはたから見れば笑顔で安堵をする男性だろうが、

 

手がなかなか離れない。

 


それどころか、何処か味わうように親指でさすりと触られて、ぞわっとした。

 


これは何だ。

 

「ねぇ、君。もしよかったらこれから」

 


「すみません。彼はこれから報告のために帰宅しなければならないので、手をお放しください。」

 


男性が言葉を続けるのに、食い気味に新たな声が聞こえ、安心した。

 

 

「伊地知さん...。」

 


「しかし、もう夜遅い。こんな子供を働かせるなんて。」

 

「いえ、寮に帰るだけです。私が送り届けますのでご安心を。これは決まりです。」

 

まだ何か言いたそうな男性だったが、珍しく伊地知さんの毅然とした態度に


諦めがついたのか、その手を離してくれた。

 

ただし、ぬるりと改めて手首から指先までを触れた後に。

 

 

 

 

疲れた...。

 

「めっぐみー!お疲れサマンサー!」

 

「うわっ、出た。」

 

「もー、人をGみたいに言わないのっ。」

 


寮まで伊地知さんに送ってもらい、入り口をくぐろうとすると五条先生がいた。

 


正直、このもやもやとした気持ちがあるときに出会いたくはなかったが、

 

夜の暗闇に立つ姿はきれいで、

 

ぼうっと見つめる。

 

 


「恵。」

 


今までと打って変わって、真剣で優しい声が響いた。

 


「手を出して。」

 

その言葉に、何故かぎくりとして、でもぎこちなく手を差し出す。


カタカタと震えてはいないだろうか。

 


そう考えて、震える?と自分が思ったことに驚いた。

 

 

「怖かったね。もう大丈夫だよ。」

 


五条先生の大きなあたたかい手に、包まれる。


ぬめっとした、力の加減を知らないあの気色悪い手ではなく、慈しみが伝わってくるような手。

 


.......................伊地知さんめ。

 


きっと、伊地知さんのことだ。

 

事細やかに「報告」でもしたのだろう。

 

「怖いとかそんなんじゃなくて......嫌だっただけです。」

 


そうだ。


五条先生以外の、「欲」を持った人間に触られるのが嫌だったんだ。

 


目の前の大きな身体に、ぽすっと頭をあてる。

 

あたたかい、落ち着くかおり。熱。すべて。

 

 

 


「五条先生じゃなきゃ、いやだっただけです。」

 

 

カワイイヒト

「五条悟」は可愛いと思う。

 

そんなことを人に言ったのなら、熱でもあるのかとか正気かとか言われそうだが。

 


確かに、性格は悪いし、言動は軽いし、子供っぽいし、

 

何かがあっても、すべて自分で抑え込んで面には出さない。

 


スマートな大人だけれど。

 


俺にとっては、五条先生は可愛らしく映るのだ。

 

 

「やっほー、恵。」

 


お疲れサマンサ~と手を挙げながら、五条先生が近づいてくる。

 


任務の後なのだろうか。

 

隠しているつもりなのか、でも疲労がうかがえる。

 


(笑っているつもりなんでしょうけど、全然なってませんよ)

 


「ちょっとかがんでください。」

 


「ん?どうしたの。」

 


素直にかがんでくれた、目の前にある頭をさらりと撫でた。

 


「五条先生、お疲れさまです。」

 

 

すると、ぴたっとその姿勢で固まった後、

 

 

がばりと抱きつかれる。

 

 


「そうなんだよー!!もう任務続きで、祓うのは楽なんだけど移動がきっついの!恵は優しいねぇ!!」

 


「俺もついていけたらいいんですけど。」

 

たとえ役に立てなくても、孤独にはさせない。

 


「そうしたいのは山々だけど、恵には勉強もあるし~。」

 


はーっと大きなため息をつきながら、五条先生が俺の胸に頭をぐりぐり押し付ける。

 


まるで玉犬になつかれているようで、あたたかい気持ちになる。

 

 

気を許してもらえているようで、嬉しくなる。

 

 

こんな五条先生の姿が見れるのは、俺だからであったら良いなと思う。

 

 

 

はやくあなたの隣に立てるようになりたい。

 


こころに改めて決意をしつつ。

 


いい加減五条先生離れないかなと、もう一度サラサラの髪の毛をぽんぽんした。

あなたが一番好き

年上の高校教師と、教え子の淡い恋を描いた作品。

 

その題材から当時問題作ともいわれて話題になっていた。

 


「最後、お互いのためとかいって別れちゃうんだよー!!」

 


「俺もその映画見ようと思ってたんですが。」

 

 

何盛大にネタバレしてくれてるんだ。

 

 


腰にしがみつく五条先生をはがそうとその肩に力をこめるがびくりともしない。

 


(クソっ!)

 

 

「でも、恵僕が教師だからって別れるとかいうかもしんない!!」

 


「教師云々の前に、あんたは俺の五条さんでしょ。」

 

 


ぽかんと、俺を見つめた後、五条先生はすくりと立ち上がりまた抱きついた。

 

 

「そうです!!伏黒恵君の大切な五条悟です!!」

 


大きな声に内心、うるさっと思ったがその言葉には同意する。

 


俺にとって五条先生は。

 


「はい。大切です。」

 


その背中をぽんぽんと優しくたたく。

 


何を心配しているのか、この人はよく不安がる。

 

だからちゃんと言葉にする。俺にはあなただけだと。

 

 

 

「五条さんが一番好き。」